木蓮と、まさをさん

木蓮をみると、母方のおばあちゃんを思い出す。

おばあちゃんが木蓮の花の事を教えてくれた。
その景色、そのシチュエーション、その甘い香りと共にふわっと引き出されて広がる、記憶の不思議。

私が物心つかない頃には、おじいちゃんは亡くなっていた。
おばあちゃんはおじいちゃんが亡くなった後に生前すっていたタバコをはじめたそうだ。
おじいちゃんの香りを懐かしむため。
いつもセブンスターをくゆらせて、どこかいつもさみしさの味がする笑顔だったおばあちゃん。

「まさを」という名前。タバコを吸う姿。
子供心には「女の人なのに」とどこか不思議な気持ちになっていたこと。

入れ歯をはずした顔を見て、「魔女だ」と言って泣いてしまったこと。

しばらくして病院に入り、ほとんどの記憶をなくして私の事も覚えてなくても「ありがとう」といつも笑っていたこと。

病院でもまわりのおばあちゃんにくらべてとびきり美人で目立っていたこと。


いろんな想いが、ほんの少し木蓮を見ただけで広がる広がる。

美人の魔女、まさをさんがセブンスターを吸って笑ってる。
木蓮の花咲く頃。



甘さを恋う

甘いお菓子は卒業した。

いつもいつも、毎晩甘いデザートは必要だと思ってた。

でもいつのころか、体が求めなくなってきた。

嫌いになった訳でもない、でもなくても気持ちはおさまる。

苦い味、辛い味、酸っぱい味、たくさん味わったからだろうか。

ただ甘みはそれなりの役割があるのだ。

心をときめかせ、とろけさせ、華やかなもり上がりをみせる。

そこにみちみちた空気は幸せという色に染まる。

甘いものでみちた胃は、もういっぱいという信号を出す。
そこで欲求はおさまる。

欲求をみたして封じこめる。




台湾の夜市では、やたらと甘くてもちもちとしたものをかたっぱしから食べた。

お腹が欲するからというより、そこにあるから口に入れるという感覚。

ある意味贅沢な甘さを、同じように摂取することはできないのは
その日々から離れるほど実感が強くわき、また次の旅の欲へといざなうのだろう。



士林の男の子

台北滞在、一日目と二日目は士林という夜市で有名な街の宿に泊まった。

その宿は駅から至近距離でもあり、どうやら学校も近いらしい。
学生らしい男の子をよく見かけた。


髪が多め・硬め
特に前髪にボリュームがある
ちょっと斜めに流れている
で、眼鏡

そんな男の子。士林の男の子に多くいた印象。

だけど、これも断言していいことか。会わなかっただけかもしれない。
そもそも、なぜか髪が薄い人を見かけなかった。
これも私がたまたま合わなかっただけかも。

さらにそもそもを言えば、あまり年をとった人自体にも会う機会が少なかったのだ。
士林に限らずとも台北にいる間。
そういうものなのだろうか。

若き街、台北の、士林の男の子。



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